STAP細胞と責任の所在について



みなさまこんにちは、藤井盛光です。

理化学研究所・発生再生科学総合研究センターの小保方晴子氏を中心としたSTAP細胞をめぐる騒動は、三ヶ月あまりを経てなお、迷走を続けて収束のめどが立ちません。

違った実験の写真、しかも自身が学生時代に行った実験のものを添付して論文提出したということは、科学者としての信頼を大きく損ねるものです。

一方でSTAP細胞が有るか無いかということは、現状では未確定であり、きっちりと仕切りなおして客観性のある(当たり前のことですが)報告を待つのみです。



この一連の騒動の中で私が懸念していることは、日本の研究現場が混乱し若者にネガティヴなイメージを与えてしまうことと、科学行政が世論を気にして足踏みしてしまうことです。

マスコミは連日のように「責任、責任」と責任の所在を理研やセンターの長に求め、一般の多くの方々も、研究者の責任は雇用している機関にあるから、けじめをつけろ、とお考えのようです。

しかしながら実際には、刑事責任を問われない研究発表に関して、一研究者の責任を研究所やその長が取るということはよほど悪質なケースでない限りありません。

それはどうしてかというと、研究機関の雇用関係というものは、一般的な企業の上下関係とは異質なものだからです。

博士号を持っているということは、科学者として自立しているということ、すなわち1人で研究の立案をし、客観的な解釈をし、学術界に情報発信し、批判に耐える能力があることを保障するものです。

そういった性善説的な前提で研究者を雇用するのが世界中の研究機関ですから、長がいちいち研究内容のチェックをするということは稀です。言ってみれば、各研究室が一企業であり、研究所はその寄り合い所帯のようなものです。

大学の研究室で学生が研究発表する際には、指導教官の責任が問われるでしょうが、プロジェクトリーダーの指導責任を所属長が取るという考え方は有りません。もう指導は終わっているはずなのですから。

逆にもし、長が所属する全研究者の研究内容に介入してきたら、独創性のある研究はとてもやりにくい環境になり、その研究所の未来は暗いでしょう。

責任を問うとしても、論文の共同執筆者なら分からなくもないですが、野依理事長をはじめ、理研の上級スタッフたちがマスコミの前に引きずり出されて陳謝及び晒し者にされる姿には、正直いって違和感を覚えます。

一研究者の一論文の不正が研究業界で処断され、終わるはずだったのに、割烹着だのリケジョだのポエムだの、研究の本質とは全く関係ないお祭り騒ぎを極大化させたのは誰でしょうか。

研究者は須く静謐な環境で己の科学的探究心と道義に従って研究に邁進するべきであり、その現場を視聴率欲しさ、購読数増加のためにかき乱すマスコミ諸兄には猛省を促したい。

そしていつの日か我が国に、英国のNatureや米国のScienceのような、学会ではなくマスコミ主導のトップジャーナルを創刊できるよう、ご努力いただきたいと願う次第です。




おしまい。





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