靖国神社に関する長岡市民の一考察


みなさまこんにちは、藤井盛光です。
先週はお盆でしたが皆様いかが過ごされたでしょうか。この時期になりますと、東京からお越しの方を含めて大勢のお檀家様がお寺を訪れ、お墓参りをされます。ご先祖様との接点を守り続けるという、お寺の存在価値の真骨頂を実感する時期です。



この時期は、先の大戦における敗戦、その戦いに命を捧げられた方々、銃後にありながら命を奪われた方々への思いが込み上げてまいります。

価値観の違い、主義主張の違いはあれど、全ての日本国民が我が民族の歴史に強い関心を持ち、意見交換や議論を行っていくことが、経験に学び日本国を盤石にするために必要であると私は思います。



さて、我が国において英霊の慰霊ということでは、国内外のマスコミを始め多くの方々が靖国神社への関心を強めます。

もちろん私は閣僚の参拝は政教分離に抵触しないと考えますし、日本国の代表が一点の曇りなき想いで粛々と参拝すべきであると考えますが、そこへの道のりはまだ遠そうです。




こういった現状はともかくとして、私が気になるのは「靖国は全ての日本人の心の拠り所となるのか?」ということです。

なぜならば、現状の靖国神社は戊辰戦争以降の「政府・朝廷側」で亡くなった軍人を祀る神社だからです。

ここ長岡の街を治めていた長岡藩牧野家は、徳川恩顧の譜代大名ということもあり、戊辰戦争ではやむなく官軍と戦い、河井継之助を始めとして300名以上の戦死者を出しました。

しかしながら、長岡藩は朝廷側から見たら賊軍ということで、彼らの魂は靖国神社には祀られておりません。

河井継之助は決して私利私欲で朝廷に弓引いたわけではなく、また日本国の未来を考えていなかったわけではありません。むしろ来るべく日本と諸外国との関わりには、人一倍の関心を持っていました。




ここでは長岡藩のことを引き合いに出しましたが、会津藩を始めとして、武士としての信念に生きた結果として朝敵となったり、薩長との怨恨により朝敵の汚名を着せられた場合もありました。

そういった先達の文字通り命がけの戦いの上に我が日本国は成り立っているのであり、それを賊軍だ官軍だと色分けしてしまうのは、「死なば皆仏」という日本人の精神に反するのではないでしょうか(まあここでは神様ですが)。

靖国神社にはその伝統と仕来りがあり、それを変更すべきだと私は主張しませんが、日本人特有の死者に対する寛容の精神がもし靖国に受け入れられたならば。

靖国神社は本当の意味で全ての近代日本建国の礎となって散華された方々に感謝を捧げる場と成るのではないかと私は思います。



以上





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