皆さまこんにちは、藤井盛光です。
今回のブログでは実に悩ましいことをご報告しなければなりません。
長岡の街は8月のブログでもご紹介致しましたように、長岡花火に象徴される長岡まつりで大いに賑わいます。その花火を題材とした映画「この空の花」(監督:大林宣彦)が先般クランクアップしましたが、この映画の中に、「従軍」慰安婦(誤解を招かないよう括弧書きしましたが以下省略します)の存在を誤認させるような台詞が存在しているということが分かりました。
日本軍の慰安婦が非人道的であったと一般化する捏造、プロパガンダに関してはネット上にも多くの解説がありますのでここでは割愛します。「従軍慰安婦 嘘」などで検索して下さい。
撮影前に配布されていた台本のコピー
三島「長岡では、子供たちに、従軍慰安婦のことも教えております」。
玲子「勇気のある教え方ですね」。
三島「大人がやってきたことを、間違いも含めてきちんと教える」。
誤解のないように申し上げますが、長岡市では従軍慰安婦のことなど全く教えていません。これは教育委員会、長岡市民の共通認識でもあります。
こういった情報を入手致しましたのは9月下旬のことでした。複数の長岡市民から頂いた意見は、これでは長岡が誤解されてしまうし、そもそも従軍慰安婦などという虚構を描いた映画を市が支援するなど非常識であるという切な訴えでありました。


市はこの映画を全面的に支援し、支援金も積極的に募っており、既に長岡の皆様方から2000万円が集まっていると聞いております。協賛者の長岡市民の皆さまは、長岡花火と長岡のまちのPRということに賛同しているのであり、反戦左翼のプロパガンダに長岡花火が利用されることに賛同しているわけではありません。これでは長岡市民の純粋な気持ちが踏みにじられてしまうという強い憤りを感じました。
次期定例会は12月中旬であり、それまで公に議論する機会がありません。ひとまずtwitterで意思表明を行いましたところ、しばらくして市長部局から情報提供を受けました。

実際に収録する際に、先ほど問題視した台詞は変更されていたということでした。変更に至った詳しい経緯は明らかにされませんでした。これを見ると確かに長岡市が従軍慰安婦教育を行なっているという台詞は削除されましたが、代わりに「昨年の平和フォーラムで佐藤牧師が中学生に従軍慰安婦の話をした」「戦争の愚かさを学ぼう」となっており、相変わらず従軍慰安婦についての記述は残っています。
一体、2010年の平和フォーラムで佐藤牧師は何を中学生に語ったのか、録音テープを取り寄せて確認致しました。分かったことは、?講師は佐藤牧師ではなく後藤牧師であること、?一時間の講演で慰安婦についての言及はわずか30秒ほどであり、しかも「従軍慰安婦」という発声はなかったということでした(確認)。
抗議を受けて撤回するのではなく、捏造に近い誇大解釈をしてでも従軍慰安婦について言及し続ける大林宣彦氏の思惑が朧気ながら見えるように思えます。
なお、こういった偏向台詞はこの箇所だけでは無いようです。今回収録前台本にて確認できた箇所を以下に示します。
「古里から従軍慰安婦が強制連行された」
「ビンラディン殺害と山本五十六撃墜は等価」
「今は日本人同士が殺したり殺されたり」
「長岡、広島、長崎、東京では戦争は終わっていない」
これらの部分が収録時にどうなったかについては現在のところ分かっておりません。何れにせよ、このような表現は長岡花火をテーマとする映画に全く必要無いと私は思います。
戦後の長岡花火は戦災復興祭の花火として再開されましたが、その翌年から長岡空襲犠牲者の鎮魂を兼ねるようになり、戦後数十年の間にいつの間にか平和の花火となり、今や反戦の花火へと変質させられようとしています。
来年ホノルルとワシントンDCで長岡花火が打ち上げられる予定ですが、森長岡市長はそれに合わせて現地でこの映画を公開したいと熱望しています。もし本作がこういった内容を含んだままで完成し、市が主体的に宣伝することになれば、 長岡市という日本の地方自治体は従軍慰安婦の存在を公認している、ということを内外に表明することになります。現在世界中で行われている反日プロパガンダを、長岡市が後方支援することになってしまうのです。 これは多くの長岡市民の望むところではありません。
「映画が出来上がってから、完成品を確認してからでなければ議論することは無意味だ」という意見もありますが、出来上がってからでは遅すぎると私は思います。出来上がってしまった映画を修正させるには多大な労力が必要になります。
「市民が喜んでやっていることに水を差すな」という意見もありますが、たとえ市民にとって面白くないことでも、政治は主張しなければならないときもあります。それをしないということは大衆迎合の事なかれ主義であり悪しきポピュリズムです。あとで問題が大きくなったときに、市民は責任を取れません。責任を取れるのは政治家なのです。 問題点を公に議論し、長岡市としての意思はどうなのかを明確にしておかないと、将来に禍根を残すことになりかねません。
国家の誇りを長岡市が自己中心的に汚さないためにも、従軍慰安婦に関する記述の一切の削除を長岡市が制作会社に申し入れ、それが確認されない限り本作に対する市関与の全面的撤退の意思表明 が必要です。 また 多大な浄財を頂いた皆さまの気持ちを踏みにじらないためにも、一連 の過程の情報公開が必要であると私は考えます。
大林氏、そんなに従軍慰安婦を持ちだして日本人の反戦意識を煽りたいのなら、長岡花火や長岡のまちを利用せず、自分の資金でやってください 。このやり方には多くの長岡市民、日本国民が怒りの声を上げますよ。長岡市も著名人の参画に浮かれてコントロールを失うようでは30万人都市として情けない話です。
この問題は次の12月議会でしっかりと議論を行い、それに市長がどのような姿勢で臨むのか明確にしていただきたいと思います。
以上。
追記:本件を12月議会で議論しました。こちらからどうぞ。
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